パパが歩んだ道と大切にしている想い
- 俊行 雑賀
- 2月21日
- 読了時間: 4分
-初心を思い出す夜
最近、娘たちを寝かしつけながら、自分の幼少期の話をすることが増えました。布団の中で「パパが小さい頃はね…」と話し始めると、娘たちは興味津々に聞いてくれます。その姿を見ていると、なんだか嬉しくなり、つい話が長くなってしまいます。
そんなふうに過去を振り返っていると、自分がどんな想いで今の道を選んだのかを改めて思い出すことがあります。今日は、その初心についてお話ししたいと思います。
-中学生の頃に描いた将来の夢
将来のことを真剣に考え始めたのは、中学生の頃でした。特別な夢があったわけではありませんが、漠然と
「自分が努力して何かの能力を身につけ、それを誰かのために使い、喜んでもらえるような仕事がしたい」
と考えていました。誰かに喜んでもらえると、それが巡り巡って自分の幸せにもなる、そんなふうに思っていました。
しかし、この想いが確かなものになったのは、ある出来事がきっかけでした。
-目の怪我と将来への不安
ちょうどその頃、事故で目に大きな怪我をしました。眼窩底骨折──眼球を支える骨が折れ、物が二重に見えるようになってしまったのです。
日常生活もままならず、大好きだった野球もできなくなりました。愛知県内の有名な眼科や大学病院を巡りましたが、「経過観察」と言われるばかりで、一向に良くなる気配はありませんでした。将来に希望を持てなくなり、とてもつらい日々を過ごしました。
そんな中、「眼形成眼科外科」という専門的な診療科が県外にあることを知り、藁にもすがる思いで受診しました。担当の先生に診てもらうと、こう言われました。
「大丈夫、手術をすれば治るよ」
この一言で、未来への不安が一気に吹き飛びました。
-医師を目指したきっかけ
その後、入院し手術を受け、視界はある程度回復しました。完全に元通りになったわけではありませんでしたが、日常生活には支障がないほどに改善しました。
この経験を通して、「医師になろう」と決意しました。
診療科については、祖母が拡張型心筋症で亡くなったこと、そして高校生の頃に放送されていたドラマ『医龍』の影響もあり、心臓血管外科医を目指すことにしました。今振り返ると、とても単純な理由でしたが、高校生の頃のモチベーションとはそういうものなのかもしれません。
医学部に進学し、研修医を経て、ついに心臓血管外科医として働き始めました。しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。
-研修医時代と心臓外科での日々
同期は誰もおらず、休みもほとんどありませんでした。激務で有名な脳外科の先輩医師から、「この病院で一番働いているのは間違いなく君だよ」と言われるほどでした。
それでも、世界的に有名な心臓外科の先生のもとで、多くのトレーニングを積ませていただき、最高峰の手術にも関わることができました。この経験は、外科医としての基盤を築く大切な時間となり、今でもその環境に感謝しています。
しかし、経験を重ねるにつれ、ライフステージの変化とともに「自分にとって本当に大切なものは何か」を考えるようになりました。
-美容外科への転科
その結果、美容外科へ転科することを決意しました。
周囲からは「心臓外科医から美容外科医とは、大きな転身だね!」と驚かれることが多かったです。しかし、私の中では「軸は何も変わっていない」という確信がありました。
「努力して何かの能力を身につけ、それを誰かのために使い、喜んでもらえるような仕事をする」
この想いは、中学生の頃に抱いたものであり、心臓外科でも、美容外科でも、変わることはありませんでした。どんな分野であっても、患者さんが笑顔になる瞬間に立ち会うことができる。それこそが、私にとっての幸せなのです。
-娘たちへ
寝かしつけの時間に、こんな話をしながら「パパはね、こうやって今の仕事を選んだんだよ」と娘たちに伝えます。
これから、娘たちはどんな道を選ぶのでしょうか。どんな大人になっていくのでしょうか。
きっと、それぞれの人生において壁にぶつかったり、迷ったりすることがあると思います。でも、その時に少しでも「何のために頑張るのか」を考えるヒントになれば嬉しいです。
そして、何より伝えたいことは──
「どんな選択をしても、自分の大切な想いを持ち続けていれば、きっと大丈夫」
これからも、寝かしつけの時間に、たくさんの話をしていきたいと思います。
BIANCA CLINIC 雜賀俊行
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